精子ドナーの情報を知りたい――遺伝リスクと「知る権利」を現実的に考える

「もし将来、子どもが病気になったら。家族歴が必要になったら。ドナーの情報は分かるのだろうか」
精子提供(AID)を検討している人、すでに妊娠・出産を経験した人のどちらにも、この疑問は残りやすいです。今回の紙面は、まさにその不安が“個人の悩み”ではなく、制度の遅れと直結していることを丁寧に追っていました。

この記事では、紙面が扱っていたポイントを土台にしつつ、精子提供を選ぶ側が「今できる現実的な備え」と「これから必要になりそうなルール」を、生活の言葉で整理します。
日経新聞 精子ドナーの情報知りたい
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD166KC0W6A110C2000000/

■ なぜ「ドナー情報」が必要になるのか
ドナー情報が必要になる理由は、大きく2つあります。

1つ目は医療の理由です。妊娠前の段階でも、遺伝性の病気や体質について知っておきたい人は多いですし、出産後はもっと切実になります。子どもが成長してから診断や治療で家族歴を聞かれる場面は普通にあります。そこで「分からない」となると、選択肢が狭まったり、余計な検査が増えたり、本人の不安が長引いたりします。

2つ目は、子どもの視点です。自分がどこから来たのか、遺伝的なつながりはどうなっているのか。これは興味本位というより、アイデンティティの一部として自然に湧いてくる問いです。小さいうちは気にしなくても、思春期や成人後に急に気になり始めることもあります。

「医療」と「気持ち」。この2つが重なるから、ドナー情報の扱いは避けて通れません。

■ いまの日本で起きているズレ
紙面が強調していたのは、AIDで生まれた子どもの利益(権利)をどう守るか、という視点でした。その一方で現実には、ドナーの匿名性が前提になっていたり、医療機関ごとの運用に任されていたりして、全国で同じ水準の“情報の残し方”になっていません。

ここがズレの出発点です。たとえば、
・医療機関が閉院したら、記録はどうなるのか
・ドナーの健康情報が後から更新された場合、誰がどこまで共有するのか
・同じドナー由来の子どもが増えすぎないように管理できるのか
こうした問いに、現状は「一律の仕組み」で答えにくい場面があります。

制度が追いつかないと、当事者は“自己防衛”として動かざるを得ません。だからこそ、選ぶ側は「相手(ドナー)を疑う」より、「情報が残る設計を作れるか」に意識が向きます。

■ 「遺伝リスク不明」が怖いのは、数字より“空白”があるから
遺伝の不安は、よく「確率は低い」「検査をすればいい」と片づけられがちです。ただ、実際に怖いのは確率そのものより、「分からない空白」が残ることです。

感染症検査のように“その時点で陰性”が確認できるものと違い、遺伝は長期の話になります。今は症状がなくても将来発症する可能性がある。家族歴として初めて見えてくることもある。さらに最近は、個人向けDNA検査が広がって、本人が望まなくても「血縁が見える」時代になりました。

つまり、匿名で完結する設計は、技術の側からも揺さぶられています。匿名か非匿名かを感情論で決めるというより、「長期で起きる更新」に耐えられる仕組みがあるか、という方向で考える必要が出てきます。

■ いま選ぶ側ができる「現実的な備え」
制度が整うのを待っているだけでは、目の前の妊活は進みません。では、個人として何を“備え”として持てるでしょうか。ここはチェックリストで縛るより、考え方の軸を持つほうが続きます。

まず、情報の“保存”を重要視することです。誰が、いつ、どんな検査を受けたのか。家族歴・既往歴として分かっている範囲はどこまでか。これらは、会話で聞いた内容だけだと時間とともに曖昧になります。後から困るのは当事者なので、残る形にしておく価値があります。

次に、情報の“更新”が起きたときの道筋を作ることです。ドナー側に新しい健康情報が出た場合、共有するかしないか、共有するとしたらどうやって共有するか。ここが曖昧だと、時間が経つほど不安が増えます。最初から完璧な取り決めをするのは難しくても、「更新が起きたら連絡できる状態」を保つだけで、将来の詰まり方は変わります。

最後に、子どもに関する“説明”を、早い段階から現実のテーマとして扱うことです。告知の是非を断言する話ではなく、説明の必要性が出たときに慌てないための準備です。どの言葉なら家庭の空気に合うか、どのタイミングなら日常を壊さないか。ここは家庭ごとに違うので、型よりも「自分たちの言葉」を探す作業になります。

私の活動でも、相談の中心は「安全性」だけでなく、「この先ずっと続く不安をどう小さくするか」に移っています。いまの時点で完全な安心は作れなくても、空白を減らすだけで、妊活が現実的に回りやすくなるからです。

■ これから必要になるのは「知る権利」と「守る仕組み」の両立
紙面が示していたように、子どもの側には「知りたい」という自然な要求があります。一方で、ドナーのプライバシーや安全も無視できません。どちらか一方を絶対化すると、結局しわ寄せは当事者に来ます。

現実的な落とし所としては、
・国として記録を長期保管できる仕組み
・医療的に必要な情報と、身元に直結する情報を分けて扱う設計
・子どもが一定年齢になったときの開示ルール
・同一ドナー由来の出生数の管理
このあたりを、感情論ではなく運用として整える方向が必要になります。

海外ではすでに、ドナー匿名の見直しや、情報開示の枠組みづくりが進んでいる国もあります。日本でも、技術と社会の変化を考えると、いつまでも「現場任せ」で済む話ではなくなっていくはずです。

■ クリニック型と個人型で「困り方」が違う
医療機関を介する場合は、検査や記録が一定の手順で残りやすい一方、受け手が「何が残るのか」を把握していないと、後から必要な情報にたどり着けないことがあります。逆に個人間で進める場合は、自由度が高い反面、記録や同意の形がばらけやすく、数年後に「当時どう決めたか」を思い出せなくなることがあります。

この違いを知っておくと、判断が少しラクになります。医療機関ルートなら「記録の保管年数」「問い合わせ窓口」「ドナー情報の更新があった場合の連絡方法」など、“後から困らない導線”を先に確認する価値があります。個人間なら、相手の誠実さを期待するだけでなく、合意の内容を言葉にして残しておくほうが現実的です。

■ 出生前検査や遺伝子検査との距離感
最近はNIPTなど出生前検査の話題も増えましたが、これは胎児側の状態を推定する検査で、ドナーの家族歴や体質の不安を直接消すものではありません。一方で、ドナー側のキャリアスクリーニングのような検査は、将来のリスクを“見取り図”として持つ助けになります。ただし、検査が増えるほど「どこまでを重大な問題として扱うか」「結果がグレーだったときにどう説明するか」という新しい判断も増えます。だから、検査の有無より先に、結果をどう受け止めるか、そして長期で情報が更新されたときにどう共有するかを、運用として考えるほうがブレにくいです。

■ まとめ:不安をゼロにするより、空白を減らす
精子提供をめぐる不安は、強い人でも抱えます。問題は不安の有無ではなく、不安が“空白”のまま残ることです。空白は、時間とともに大きく見えます。だから、情報を集めるというより、「情報が残る」「情報が更新できる」方向に寄せるほうが、長期では効きます。

ドナー情報の議論は、誰かを責める話ではなく、子どもと親が将来困らないためのインフラの話です。目の前の妊活を進めながらも、長期の現実に耐える形を少しずつ作っていく。いま必要なのは、その地味な設計だと思います。

※本記事は一般的な情報整理であり、個別の医療判断は医療機関の説明を優先してください。