人口減少のニュースを見て、精子提供の現場で思うこと――「家族をつくる」が難しい社会で

東洋経済オンラインで「超少子化国」を扱った記事を読みました。読んでいて強く残ったのは、少子化って「日本だけの問題」ではなく、東アジアを中心に似た形で進んでいる、という点です。韓国の合計特殊出生率が1.0を下回る状態が続いていたり、世界で見ても1.0未満の国がいくつもある――そんな現状が紹介されていました。
このブログでは、提供する側として精子提供の相談ややり取りに触れることがあります。少子化のニュースを見ると、「国の統計」より先に、具体的な顔が浮かびます。子どもを望んでいるのに、仕事や年齢やお金や環境のせいで、ずっと足踏みしてきた人たち。治療で心身が削れてしまった人たち。パートナーがいなくても「それでも母になりたい」と言葉にした人たち。
今日は、記事の内容を手がかりにしながら、「人口減少の議論」と「精子提供の現場」が、実は同じ地面の上にあるんじゃないか、という話を書いてみます。答えを出すというより、同じ空気を吸っている人に向けた、いまの実感です。
「68万人台が15年早く来た」という衝撃は、生活の中で起きている
記事では、2024年に生まれた子どもの数が約68.6万人まで減り、合計特殊出生率も過去最低になったことが触れられていました。さらに「政府推計では出生数が68万人台になるのは2039年のはずだったのに、15年も早く来た」という指摘もあります。
この「早すぎる」という感覚、精子提供を考える人たちの世界でも同じです。数年前は「いつか…」だった話が、今は「もう時間がない」に変わっています。仕事が落ち着いたら妊活を本格化しようと思っていたら、職場の状況が変わってしまった。パートナーと話し合うタイミングを逃して、気づけば年齢が上がっていた。こういう“予定していた未来の順番”が、社会の変化であっさり崩れるのを、みんな体感しています。
少子化の数字って、急に降ってくるように見えるけれど、実際は「毎日の生活のしんどさ」が積み上がって、ある日まとめて数字になって表れるんだと思います。
「日本だけじゃない」からこそ見える、超少子化の共通点
記事は、日本だけでなく韓国、中国、台湾などでも出生数が大きく減っていることを取り上げています。中国の結婚の件数が急減したという話や、出生数の先行きに関する報道にも触れていました。
そして、合計特殊出生率が1.0以下の国として、マカオ、韓国、香港、台湾、シンガポールなどが挙げられていました。ここがとても重要だと感じました。「価値観が多様化したから子どもが減った」という説明だけでは、同じような低下が地域に集中して起きていることを説明しきれないからです。
記事では、韓国や中国では教育費の高騰が背景にあると報道されていること、日中韓は男女格差が残る地域だという指摘も出てきます。つまり、超少子化は「気持ちの問題」だけではなく、社会構造のにおいが濃い。
精子提供をめぐる相談でも、最後に立ちはだかるのは気持ちというより、生活の設計です。家賃、教育費、働き方、頼れる人、そして“もしもの時”の支え。ここが見えないと、どんなに子どもを望んでも、前に進むのが怖くなります。
これから起きることの話は、怖くなる。でも目を逸らすともっと怖い
記事の中盤では、人口減少が進むと何が起きるかとして、地方の社会インフラ(上下水道、学校、道路など)の維持が難しくなること、人手不足が深刻化して景気後退につながりうることが書かれていました。
さらに、社会保障給付費が2040年に大きく膨らむというシミュレーションの話も出てきます。年金・医療・介護などが積み上がる一方で、税収が増えなければ、国家予算の多くが社会保障で埋まってしまう――そんな問題提起です。
こういう話は、読むと気が重くなります。でも、精子提供を含む「家族のつくり方」を考える人にとって、無関係ではありません。子どもを迎えるって“長距離走”だからです。出産はスタートで、そこから18年、20年…と続く。教育費だけじゃなく、病気や転居や仕事の変化もあります。
だから、現実を先に見ておくほうがラクなこともあります。怖いものを見ないで進むより、怖いものを横に置いたまま進むほうが、精神的に持つ。これは現場でよく感じることです。
「補助金でなんとか」はわかる。でも、それだけじゃ追いつかない
記事の終盤で印象的だったのが、補助金やマッチングアプリなどで若い世代を結婚・出産に導くアプローチは、根本原因を掘れていないのでは、という問題提起です。さらに、中国の湖北省・天門市の例として、新婚カップルへの住宅補助や、子どもの人数に応じた手厚い補助の話も紹介されていました。
日本でも自治体の支援策は増えていますし、助かる人は確実にいます。ただ、支援策があっても「未来の見通しが持てない」状態だと、踏み出せない人が多い。これは本当に多い実感です。支援金があっても、育休後に戻れる職場なのか、保育園は入れるのか、親の介護がいつ始まるのか、住まいはどうするのか。こういう不確実性のほうが、心を冷やします。
精子提供という選択も同じで、制度の話だけで前に進める人は少数派です。多くの人は、「自分の生活が壊れないか」を確かめながら進みます。だから、支援策は大事。でも支援策だけで「よし産もう」にはならない。この記事の問題提起と近い感触がありました。
フランスの話を読むと、「制度」より先に「空気」が大事だと感じる
記事ではフランスの例として、子どもの人数に応じた税制や年金の仕組みが挙げられ、「産めば産むほど有利」という価値観を育てるような社会に転換するほうが早いかもしれない、という趣旨が語られます。
ここ、制度も当然大事なのですが、それ以上に「空気」のほうが効く気がします。妊娠・出産・子育ての話をしても、職場で肩身が狭くならない。助けを求めることが恥じゃない。家族の形が違っても、いちいち説明しなくていい。そういう空気があると、制度は“使えるもの”になります。
逆に、制度があっても空気が冷たいと、使いづらい。精子提供もまさにそうで、情報は増えてきたのに、話題にするだけで変に勘ぐられたり、変な正義感で裁かれたりすることがまだあります。空気が変わらないと、選択肢として手元に残りません。
「家族の形」を増やすのは、理想論ではなく現実的な作業
提供する側としていつも思うのは、「家族を望む気持ち」ってすごく具体的だということです。ふわっとした夢じゃなくて、仕事のシフト、家賃の更新、実家との距離、周囲に話すかどうか、子どもへの伝え方…そういう細かい現実の中にあります。
少子化の議論は、どうしても「国をどうするか」になりがちです。でも、ここで向き合っているのは、「この人の人生で、家族を迎える道が残るかどうか」です。
そしてもう一つ、家族を迎えることは“点”じゃなく“線”だとも感じます。もし支援(養育費のような形)が関係していくなら、それは一回きりのやり取りではなく、関係が続く。そこには責任もあるし、感情も動きます。だからこそ、短期の勢いで決めるより、長期で続く形に落とし込むほうが大事です。人口減少の話が重く感じるのは、社会全体も同じく“線”で動くからなのかもしれません。
最後に:人口が減る時代に、個人ができるいちばん現実的なこと
記事では、人口減少対策が補助金だけでは抜本解決にならないこと、移民の受け入れにもメリット・デメリットがあること、そもそも経済成長を目指すのかという問いまで投げかけています。
こういう大きな議論は、すぐに結論が出ません。たぶん、出ないまま進むと思います。でも、だからといって手を止める必要はない、とも思います。
「家族をつくりたい」と思ったとき、社会が完璧になるのを待っていたら、時間だけが過ぎてしまうことがある。もちろん無理はしない方がいい。でも、選択肢を知る、相談できる場所を持つ、具体的な条件(費用・距離・支え)を少しずつ言語化する。そういう小さな積み上げが、結果的に“未来の自分”を助けます。
少子化は、数字としては重たいです。でも、重たいニュースの裏側で、ちゃんと前を向いている人がいます。提供する側としてできるのは、その人たちの「現実的な一歩」が増えるように、できる範囲で誠実に関わること。その延長線に、出生数の議論もつながっていくと信じています。
出典:東洋経済オンライン「人口減少が止まらない…日本だけじゃない『超少子化国』の悲惨すぎる末路」(2025/06/20)。



