出生数66.5万人の日本で、私たちはどう家族を選ぶか|精子提供と私の活動から考える少子化

「2025年の日本人の出生数は66万5000人程度で、過去最少を更新する見通し」。
そんなニュースが、日本経済新聞などで取り上げられています。
出生数は2年連続で70万人を割り込み、少子化が加速していると言われています。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA0334Z0T01C25A2000000
数字だけを見ると、「日本は大丈夫なのか」と不安になります。
一方で、私の活動を通して日々向き合っているのは、統計上の“66.5万人”ではなく、一人ひとりの「子どもを望む気持ち」や「諦めきれない葛藤」です。
このブログでは、出生数66.5万人という少子化のニュースと、
精子提供や私の活動で見えている現場をつなぎながら、
「これからの日本で、私たちはどう家族を選んでいくのか」を考えてみたいと思います。
出生数66.5万人という少子化の数字が示していること
ニュースや統計の内容を、ざっくり整理するとこんなイメージになります。
- 2025年の日本人の出生数は約66万5000人と見込まれている
- 2年連続で70万人を下回り、統計開始以来の最少水準
- 出生数の減少は10年連続で続いている
- 一方で、婚姻件数は大きく減っておらず、横ばいに近い
- 「結婚しないから子どもが生まれない」だけでなく、「結婚しても子どもを持たない・一人で終える」夫婦が増えている
つまり、少子化の背景には、
「結婚そのものが減っている」
だけでなく
「結婚しても子どもを産まない/少なくする選択が増えている」
という流れがあります。
少子化はよく「未婚化・晩婚化」が原因として語られますが、
今の日本では、それだけでは説明しきれなくなってきているのだと思います。
「子どもを望む人が減った」のか、「望めない状況が増えた」のか
統計や記事では、「若者の出生意欲の低下」という表現がよく使われます。
たしかにアンケートを見ると、「子どもは絶対ほしい」と言い切る人の割合は、昔より少なくなっているのかもしれません。
でも、私が日々の相談やメッセージで接している人たちを見ていると、
「本当に子どもを望まなくなった人」が増えたというより、
- 子どもを望んでいるけれど、経済的な不安が大きい
- パートナーとの関係や価値観が合わず、妊活の話すら切り出せない
- 出会いがないまま年齢だけが上がっていき、タイミングを逃してしまった
- 不妊治療で心身ともに疲れ切ってしまった
こうした事情で、「望んでいてもそこまでたどり着けない人」が増えている印象があります。
「子どもを望む人が減った」というよりも、
「望んでいるのに、叶えづらい環境が増えた」
というのが、私が現場で感じている少子化のもう一つの顔です。
結婚しても子どもを持たない、という選択のリアル
ニュースでは「婚姻数は横ばいなのに出生数が減っている」ことが指摘されています。
私の周りでも、「結婚はしたけれど子どもは持たないつもり」というカップルはたしかに増えました。
理由はさまざまです。
- 共働きで、どちらも仕事をセーブする余裕がない
- 収入や雇用が安定しておらず、将来の見通しが持てない
- 自分の生い立ちや家庭環境から、「親になる自信がない」
- 子どもを持たない生き方も、ネットやSNSを通じて自然に選択肢として見えるようになった
こうした選択を、「間違っている」と裁くことはできません。
むしろ、自分の人生の優先順位を丁寧に見つめた結果として、子どもを持たない道を選ぶのは、一つの誠実さでもあると感じます。
ただ、その一方で、
- 「本当は子どもがほしかったけれど、諦めた」
- 「なんとなく決めないまま時間が過ぎて、気づいたら選択肢が狭まっていた」
という“諦めの選択”も紛れ込んでいるのが現実です。
私の活動にたどり着く人の中には、まさにこの「諦めきれなかった人たち」が多くいます。
年齢、仕事、パートナーの有無。いろいろな条件を理由に諦めかけたけれど、それでも
「自分の人生に子どもという存在を迎えたい」
という気持ちを手放せなかった人たちです。
出生数66.5万人という少子化ニュースを、現場でどう受け止めるか
出生数66.5万人という数字は、日本全体を俯瞰した「大きな話」です。
でも、私が毎日向き合っているのは、もっと小さなレベルの「どうしよう」です。
- 「この年齢から、一人で産んで育てるという選択肢は現実的だろうか」
- 「精子提供という方法に興味はあるけれど、偏見や周囲の目がこわい」
- 「もし子どもが生まれたら、将来どう説明していけばいいのか不安」
国や自治体レベルでは、出産費用の軽減や保育の拡充、教育コストの負担減など、
構造的な少子化対策がもちろん必要です。
一方で、個人の時間は待ってくれません。
卵子の年齢も、体力も、今の収入も、リアルタイムで進んでいきます。
だから私は、
「日本全体の出生数を一気に増やす」
という視点ではなく、
「子どもを望む一人ひとりが、自分に合ったルートを選べるようにする」
というスケールで、自分の役割を考えています。
精子提供と「私の活動」が担っている小さな役割
私の活動は、ざっくり言うと次のようなことをしています。
- 精子提供という手段にアクセスしたい人の相談に乗る
- 提供者と受け手が、無理のない距離感で関係をつくれるように調整する
- 場合によっては、養育費という形で継続的に支える仕組みを用意する
これは、出生数のグラフを劇的に変えるような、“派手な少子化対策”ではありません。
でも、
- パートナーがいなくても、子どもを迎えたい人
- パートナーはいるけれど、妊娠・出産が難しい状況にある人
- 不妊治療に限界を感じて、別のルートを探している人
にとっては、ゼロだったところから「もう一つの選択肢」をつくる役割を持てると感じています。
出生数66.5万人というニュースを見ると、「一人の活動で何が変わるのか」と思う瞬間も正直あります。
それでも、私が関わっているのは統計の数字ではなく、ある人にとっての**「この子が生まれたかどうか」**という100%の違いです。
社会全体のグラフはすぐには変えられないけれど、
個人の人生レベルでは、ゼロと一の差を生むことができる。
その感覚があるから、私は活動を続けています。
「産む・産まない」を自分で選べる社会にしたい
少子化のニュースを見ていると、「子どもを産まない人が悪い」「産むのが正義だ」という極端な空気が、ときどき顔を出します。
でも、私はそうは思いません。
- 子どもを持たない生き方を選ぶ人
- 子どもを望んでいたけれど、諦めた人
- どうするか決められずに迷っている人
- 精子提供などの方法を使ってでも子どもを迎えたい人
誰の選択も、簡単に「正しい/間違っている」と言えるものではありません。
大事なのは、
「自分の気持ちを知ったうえで、選べたかどうか」
「本当は選択肢があったのに、知らないまま諦めてしまった」
この差だと思っています。
精子提供も、私の活動のような支援の仕組みも、「全員におすすめしたいもの」ではありません。
ただ、
「こういう方法も存在する」と知っていれば、
別の人生を選べたかもしれない人がいる
その可能性を少しでも増やすために、ブログやSNSでの発信を続けています。
出生数66.5万人のニュースを「自分ごと」にするために
最後に、このニュースを自分なりにどう受け止めているかをまとめます。
- 出生数66.5万人という数字は、たしかにショックが大きい
- でも、「日本は終わりだ」と嘆くだけでは何も変わらない
- かといって、「じゃあ子どもを産めばいい」という圧だけを個人に向けるのも違う
私ができるのは、小さな範囲で、
- 子どもを望む人が、自分の気持ちに素直になれる場所をつくる
- 「こういう家族の形もあっていいよね」と言える空気を少しずつ広げる
- 精子提供や養育費の仕組みを、できるだけ誠実な形で整えていく
ということだけです。
ニュースで「出生数66.5万人」という見出しを見たとき、
それをただのショッキングな数字で終わらせるのか、
「じゃあ自分はどうしたい?」と立ち止まるきっかけにするのか。
このブログを読んでくれているあなたには、ぜひ後者で受け止めてもらえたらいいなと思います。
- 子どもを持ちたい人は、その気持ちを一度ちゃんと見つめてみる
- まだ決められない人は、「決めないまま考え続ける」時間を確保する
- 子どもを持たないと決めた人は、その選択に自信を持てるように、自分の言葉にしてみる
そのどれもが、「出生数66.5万人の日本」で、自分の人生を主体的に選んでいくための一歩になるはずです。
私の活動も、その一歩のどこかで、そっと寄り添える存在でありたいと思っています。



